日々の重なり

ロースクール出身者の公務員試験受験、法律ネタなど

「一票の格差(投票価値の不均衡)」を考える

 こんにちは。大変ご無沙汰しております。

 

 今回は、「一票の格差(投票価値の不均衡)」、つまり選挙での一票の重みに、住む地域によって差異が生じていることについて、考えてみたいと思います。

 2012年12月に衆議院選挙が実施されましたが、この選挙に対しては、弁護士グループにより訴訟が提起されています。この弁護士グループは、昨年末の衆院選において「一票の格差」が最大2.43倍であったことから、当該選挙は違憲で無効だと主張しています(この訴訟の最高裁判決は、本日15時に開廷される大法廷で言い渡されます)。

 

 以下では、まず「一票の格差」とはいかなる問題なのか(下記①)、そして「一票の格差」は憲法上どのように位置づけられるのか、を確認します(下記②)。

 さらに、一票の格差は、憲法上絶対に許されないのか否かを検討し(下記③)、投票価値の均衡が要求される趣旨に遡った上で(下記④)、どの程度の投票価値の不均衡であれば、憲法上許容されるのか?について考えていきたいと思います、(下記⑤)。

 

 かなり長文になってしまいましたが、④と⑤のトピックが重要なので、そこを特に読んで頂ければ、と思います。

 結局言いたいことは、地方の政治問題を解決し、地方の住民の声を国政に反映させるためには、投票価値に一定程度の不均衡が生じることは、やむを得ないのではないか、という点に尽きるのですが。

 

*今回の記事の参考文献は、木村草太著『憲法の創造力』(NHK出版新書、2013)の第二章(54~82頁)です。

 

 

①「一票の格差(投票価値の不均衡)」とは

 「一人一票実現国民会議」という団体のホームページでは、一票の格差について以下のように説明されています(http://www.ippyo.org/hubyodo.html)。

住んでいる場所によって一票の価値が不平等になるという事態が、 いろんなところで起きています。


人口10万人につき議員1人という地域の住民が投じた一票に対して、 人口20万人につき議員1人という地域の住民が投じた票はその半分の価値しかない、といったような不平等です。

 

これを「一票の不平等」と呼びます。

 

  つまり、人口の少ない地域では一票の価値が高く、多くの住民が住む都市部では一票の価値が低い傾向にあるわけです。

 

*自分の選挙権に何票の価値があるかは、「一人一票実現国民会議」のホームページのトップでチェックできます(http://www.ippyo.org/index.php)。

 

 

②一票の格差(投票価値の不均衡)の憲法上の位置づけ

 この点について憲法の条文には、「一票の格差は許されない」という文言は見当たりません。

 そこで以下のように、憲法の条文を解釈する必要があります(木村草太著『憲法の創造力』57頁)。

 憲法14条1項・44条より、憲法は「平等選挙」を要請している。

 そして、形式的に一人に一票が与えられていても、一票の中身に差があるのでは、平等とはいえない

 したがって「平等選挙」の要請には、「投票価値の均衡」も含まれる。

 

 そうすると、地域によって一票の価値に格差がある場合、「平等選挙」の要請に反するものとして、憲法上の疑義が生じることになります。

 

 

③一票の格差は、絶対に許されないのか

 ただ、②のように解釈したからといって、一票の価値に少しでも差異があったら直ちに憲法違反になる、というわけではありません。

 すなわち、複数の選挙区を設置する以上、一票の価値を完全に同一にするということは、法技術的に不可能です。全国を一区とすれば、投票価値を完全に均衡させることも可能ですが(前記『憲法の創造力』57頁)。

 

 また、選挙制度の設計においては、国会の裁量が憲法認められています(憲法43条2項・47条)。したがって、投票価値の均衡以外の要素を考慮した結果、一票の価値に差異が多少生じたとしても、正当な目的を達成するために必要な範囲内である限り、許容されます。

 

 よって、一票の格差は、憲法上絶対に許されないものではありません。

 そこで次に問題となるのは、投票価値に不均衡が生じるのは、どの程度までなら憲法上許容されるか?を画定することです。

 

 

④投票価値の均衡が要求される根拠

 以前の記事でも触れましたが、法律学においては、趣旨・目的に遡って、解釈論を展開するというアプローチがとられます。すなわち、形式的には憲法違反にみえても、条文等の趣旨・目的に反していないのであれば、違憲ではないと判断します。

 

 ここでは、「投票価値の不均衡が生じると、どのような悪いことが起きるのだろうか?」という点に遡って、考えていきます(前記『憲法の創造力』66頁)。

 以下では、投票価値の均衡が要求される根拠を 、二つ挙げます。

 

ⅰ 第一の根拠は、「全国民の代表」にふさわしい人物を、国会議員に選べる可能性を高めるためです(以下、前記『憲法の創造力』70~72頁による)。

 

 国政選挙とは、「全国民の代表」(憲法43条1項)たる国会議員を選ぶ制度です。しかし、「全国民の代表」としてのふさわしさを測ることは、身長や体重の測定ほど簡単ではありません。その測定を特定少数の人間に委ねるのは、大変危険なことです。

 そこで、多くの人が投票に参加することで、「全国民の代表」にふさわしい人物を選択できる可能性を高めよう、というのが多数決制度です。そうすると、選挙においては、A:できるだけ多くの人が参加することが重要となります。

 また、B:有権者の人口構成が偏らないことも重要です。たとえば、女性が有権者から排除されてしまえば、女性ならではの知識や知恵を投票結果に反映させることができなくなり、「正解」に到達できなくなるおそれがあります。

 

 投票価値の均衡が要求される根拠も、以上の観点から説明することができます。

 すなわち、一票の価値に格差があれば、参加者が減少することと結局は同じです(×上記A)。また、地域的に偏った不均衡は、投票者の人口構成を偏らせてしまいます(×上記B)。

 このように、投票価値の不均衡は、国民が誤った選択をするおそれを増大してしまうわけです。

 よって、「全国民の代表」にふさわしい人物を選択するという観点から、投票価値の均衡が要求されます。

 

 

ⅱ 第二の根拠は、一部の者だけが優遇されているという感覚を、国民に生じさせないためです(以下、前記『憲法の創造力』74~75頁による)。

 

 人間にはプライドがあります。どれほど客観的に正しい決定であっても、自分が十分に尊重される手続きを経ない限り、人間は従うことができません。

 そして、投票価値に不均衡が生じた場合、一部の者だけが優遇されていると国民は感じ、政治決定に不満を抱くでしょう。

 こうした事態を防ぐために、全国民が等しく尊重され、投票価値の均衡が保たれた選挙を実施する必要があるわけです。

 

 

 以上みてきたように、ⅰ「全国民の代表」にふさわしい人物を選ぶ可能性を高めるため、また、ⅱ一部の者だけが優遇されているとの感覚を国民に生じさせないため、投票価値の均衡が要求されています。

 

 

⑤投票価値の不均衡は、どの程度まで、許容されるか

 ④で検討した二つの根拠に照らすと、投票価値の不均衡は、「一定程度」であれば、許容されると考えられます。

 

 まず、④ⅰの根拠と関係しますが、過疎地域の政治問題にも明るい「全国民の代表」を選出できる限度において、一票の価値に差異を設けることは許されると考えます。

 前述した多数決制度も、万能ではありません。すなわち、解答するのに専門的知識が必要な問題では、多数決の有用性は失われ、専門家の判断の方が頼りになります(前記『憲法の創造力』77頁)。

 そして、都市部の政治問題に詳しい有権者は多数いる一方で、過疎地域の政治問題を熟知する有権者は限られています。そうすると、議員定数を人口に完全に比例させた場合、都市部の政治問題に明るい国会議員が多数選出される一方で、過疎地域の問題を解決する能力がある人物は、ほとんど選ばれなくなるおそれがあります。

 そのため、過疎地域の有権者の一票の価値に、一定程度の重みをつけることは、過疎地域の事情にも明るい「全国民の代表」を選択する上で有用な手段といえ、憲法上許される場合があると考えられます。

 

 次に、④ⅱの根拠と関係しますが、過疎地域の住民に「地方の切り捨て」という印象を抱かせないようにする限度で、投票価値に不均衡が生じることは許容されると考えます。

 つまり、議員定数を人口に完全に比例して配分した場合、都市部の定数は非常に多くなる一方で、過疎地域の定数はほとんどなくなってしまいます。そうすると、地方の声を国政に反映させることは困難になり、過疎地域の住民に「地方の切り捨て」という印象を与えかねません(前記『憲法の創造力』78頁)。

 したがって、都市部の住民という「一部の者」だけが、優遇されているという印象を発生させないために、地方の住民の投票価値に一定程度重みをつけることは、許されると考えます。

 

 

*もっとも、投票価値に著しい不均衡が生じてしまえば、今度は都市の住民が政治決定に不満を抱くことになります。したがって、許容される不均衡は、あくまで上記の目的を達成する上で必要な、「一定程度」のものに限られます。

 「一定程度」というと随分あいまいなのですが、X倍以上の格差なら許されない、というふうに機械的に決められる問題ではないように思います。目的を達成する上で必要な程度の格差なのか?ということを、その都度考えていかなければならないのでしょう。

 

 以上となります。かなりの長文を読んで頂き、ありがとうございました。最高裁判決はどんな内容になるかな・・?

 ところで、これまで頂いたコメント等についていたスターが、なぜか消えてしまっているみたいです。何でだろ?

 それではまた。