日々の重なり

ロースクール出身者の公務員試験受験、法律ネタなど

凶が出て気分が悪いから、おみくじの結果なんて信じない!という方へ~それでも貴方は「信じている」~

 あけましておめてとうございます!

 ぼちぼちとブログを続けていきたいと考えておりますので、今年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

①「はてなブログおみくじ2014」を引いた結果

 せっかくなので、僕も「はてなブログおみくじ2014」を引いてみました。

 

 

はてなブログおみくじ2014

 

 大吉という良い結果だったので、普段はおみくじや占いの類に懐疑的な僕も、今回ばかりはおみくじを信じたいと思います(笑)。

 もし凶という結果であれば、「いやいや、おみくじの結果に科学的根拠なんてないんだから、絶対信じないよ!あーでもテンション下がるわ・・。」と思っていたことでしょうが。

 

 このように凶を引いた仮想の僕は、科学的根拠がないことを理由に、おみくじの結果を「信じない」と主張しています。

 しかし、科学的根拠を否定したとしても、「テンション下がるわ・・」と感じている時点で、実はおみくじを「信じている」ことになるのです。

 

 以下、「信じる」という言葉の意味について、検討していきます。

 

 

②「信じる」という言葉には、二つの意味がある

 「信じる」という言葉の意味合いは、用いられる場面に応じて、微妙に変わってくるように思われます(以下、木村草太著『憲法の創造力』(NHK出版新書、2013)122~127頁参照)。

 

ⅰ 具体例1

 たとえば、プロサッカークラブのジュビロ磐田は、昨季にJ1からJ2に降格したのですが、幼少期からのジュビロファンである僕は、ジュビロの来季でのJ1復帰を信じています。

 

 この文脈で用いられている「信じる」とは、将来の検証結果ジュビロがJ1に復帰した/しなかった)に対する予測を意味しています。

 ジュビロの来季の行方を見守ることによって、将来に結果を検証することができるので、現時点において当該結果を予測することもまた可能となるわけです。

 

 

ⅱ 具体例2

 では僕が①で述べた、大吉というおみくじの結果を信じる、という場合の「信じる」は、どういったことを意味しているでしょうか?

 

 ここで、僕の今年の運気が良いか/悪いか?ということは、(占い師ならともかく、少なくとも僕には)年末になっても検証が不可能な事柄です。このように運気の良し悪しを実際に検証できない以上、現時点において運気の予測をすることも当然できません。

 

  そうなると、この文脈における「信じる」という言葉は、将来の検証結果に対する予測ではなく、それを前提に行動しているかどうか、を意味することになります。

 すなわち、大吉という結果を受けて、今年の運勢が実際に良いか悪いかはともかく、運勢が良いものとみなして、いろいろと積極的に行動してみよう!と考えることが、おみくじの結果を「信じる」ことの内実なわけです。

 

 

 まとめると、「信じる」という言葉の使い分けは、以下のように整理されます。

A 経験により検証できる事実を「信じる」

  →当該事実について、将来の検証結果に対する予測を示す。

 

B 経験により真偽を検証できない事実を「信じる」

  →当該事実の真偽はさておき、当該事実を所与の前提として、行動する。

 

 

③事例の検討

 では、おみくじで凶を引いて「科学的根拠なんてないんだから、おみくじなんて信じない!でもテンション下がるわ・・」と仮想の僕が思ったという事例について、仮想の僕は、本当におみくじを「信じ」ていないのか、検討してみます。

 

 この場合は、運気の良し悪しに対する検証可能性をそもそも否定しており、運気の予測はしていないので、上記Aの意味では、おみくじを「信じ」ていないことになります。

 しかし、凶を引いて気分を害している以上、おみくじの結果を行動の前提としてしまっているわけで、上記Bの意味では、おみくじを「信じ」ていることになるわけです。

 

 おみくじでいかなる結果が出ようとも、その後の行動・気分に全く影響しないという人であれば、Aの意味でもBの意味でも、おみくじを「信じ」ていないことになります。

 しかし、おみくじで大吉が出れば嬉しく、凶が出れば少しは嫌な気分になってしまう人は、結構多いと思います。そうした人たちは無意識のうちに、もれなくおみくじを「信じ」てしまっているのです。

  おみくじの呪縛から免れることは、そう容易いことではありませんね。。

 

 

 以上となります。

 それではまた。